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忘れもしない1997年、ある日のサンケイスポーツ競馬面。『日本版ブリーダーズカップ、2001年に創設か。第1回は盛岡競馬場が有力―』。決して大きくはなかったが、この記事に思わずときめいた。

一日で各カテゴリーのチャンピオンホースを決定。開催地は持ち回り。世界最高額の賞金(当時)。ブリーダーズカップ創設者はこう語った。『ライバルはメジャーリーグ、NFL(アメリカンフットボール)、NBA(プロバスケットボール)であり、競馬が唯一これらプロスポーツに勝てるのは最高のレースを見せること』

この考えは、ど真ん中のストライクゾーンで入ってきた。出し惜しみしては決してメジャースポーツになれない。アメリカのブリーダーズカップはこのような理念のもとに創設された。

競馬にかかわってきた一人として、ブリーダーズカップはあこがれの存在になっていた。
生ではなかったし、画面越しだったが、毎年、テレビにかじりついて最高のイベントを堪能したものだった。

第1回ブリーダーズカップ・クラシック、優勝ワイルドアゲイン。当時、アメリカ競馬はワンランク下の存在だった。競馬は欧州が本場であり、ダートはマイナー。当然だが、日本でも評価は同じ。ダート競馬は芝で通用しなかった落ちこぼれの集まり―。今でもこの考えは根底では変わらないが、ブリーダーズカップ創設が大きな一石を投じた。

BC1

計らずも97年前後、統一グレードが導入され、ダート競馬は次第に認知度が上がり、レース体系も徐々に整備。そんな矢先だっただけに、冒頭の新聞報道に血が騒いだ。

エンターテイメント大国・アメリカが、どんな演出でブリーダーズカップを盛り上げているのか。ファンの反応は?世界レベルの馬はどんなものか。もう、生で観戦しなければいても立ってもいられなくなり、あらゆる手段を使って取材方法を探った。


それより7年前、世界最多勝ジョッキー(当時)、W・シューメーカーの引退式を見るため、サンタアニタ競馬場を訪れたことがある。今でこそ情報収集はインターネットなどを使えば簡単に詳細まで入手可能になったが、あのときは引退式の日まで“おそらく”レベル。現地に行って伝聞で聞いていた日と違っていたことが判明したが、用心のため長めに滞在したのが幸い。無事、引退式に立ち会うことができた。
BC3


当日は“レジェンド”シューメーカーを見送るため、多くのファンがサンタアニタ競馬場へ駆けつけた。その時の写真は今でも自分の財産として大事に保存しているが、一つ一つの演出が心憎いほどスマート。

最大の見どころはパラシュート=落下傘だった。空高くから競馬場へ舞い降り、肉眼で確認できるぐらい近づいてきたら“So long Shoe”の横断幕。見事、パラシューターがウィナーズサークルに着地すると大歓声が上がった。

その時の印象が強烈で「じゃあ、世界最大規模を誇るブリーダーズカップならどんなに凄いんだろう」と期待は膨らむ一方だった。

得てして期待が大きすぎると、がっかりするケースも多い。これは勝手に拡大解釈してしまった自分が悪いのだが、ブリーダーズカップの場合は別だった。

驚きと感嘆と感動の連続。初めて取材したのはハリウッドパーク競馬場(ロサンゼルス)で、プレスパーティは撮影所の一角。マリリンモンロー、チャップリンなどのそっくりサンが出迎えてくれ、ビュッフェスタイルの飲み放題、食い放題。出場ジョッキーも参加し、お祭りを盛り上げる。

そんな連続で開催当日を迎え、一日7レース(当時)のGⅠをどう消化できるか変な不安がよぎってしまった。通常、メインまで1レースごとに高揚していく(させていく)のがこれまでの価値観だったが、根底から覆された。

これでもか、これでもかとばかりGⅠの連続に体力を消耗し尽くし、終わったときは心身ともに疲れ切ってしまった。しかし最高のカタルシスを味わい、思わず口から出た言葉が「いいモノを見せてもらった」だった。

BC2



“ブリーダーズカップ日本版が実現できたら最高だろうな。是非、実現してほしい”と切に願った。

それから毎年、ブリーダーズカップ詣を敢行。1回ごとに開催地が替わることも新鮮で、土地柄がそのままブリーダーズカップにも反映し楽しみ倍増。同時進行的に日本版ブリーダーズカップ創設も次第に現実のものとなり、ついに2001年を迎えるに至った。

第1回は大井ナイターで開催。この経緯はいつかどこかで書こうと思っているが、ともあれ盛岡でスタートできなかったことは決して残念ではなかった。大井競馬は地方競馬の顔だし、ナイターこそ地方競馬の象徴的存在。集客力も売り上げも規模が違いすぎる。JBCが21世紀、新時代の幕開けにふさわしいレースだと確信し、ならば記念すべき第1回は大井ナイターであろうと偽りなく思った。


JBCがなぜ21世紀にふさわしい競馬なのか。これは非常に単純明快だ。開催規模(賞金総額、開催地、距離など)はすべて主催者の決定事項だったが、JBCは生産者自らも賞金を出し、運営にも積極的に参加する―。

『21世紀は参加型の競馬―』。現在、休刊中の雑誌『テシオ』で何度となく、このメッセージを送ってきた。それは立ち上がった生産者だけではない。ファンも与えられた商品(レース→馬券)を買うだけではなく、競馬のあり方、レースのあり方をともに考え反映させていく時代に突入した、いや、すべきだとアピールし続けてきた。今でもその考え方に間違いはないと確信している。

なぜ地方競馬は衰退したのか。様々な要因があったのは重々承知しているが、つまるところファンのニーズに応えることができなかった。進化し続けていくファンの嗜好、変化し続ける時代の要請があったにもかかわらず、旧態依然の体質のままだったからファン離れを引き起こした。それに尽きると思っている。

2002年11月4日。ついにオーロパークで第2回JBCが開催された。当然だが過去最高の入場人員、売り上げを記録し、後日、あまりにも道路混雑だったため引き返したファンも数え切れなかったとの話も聞いた。

“たら、れば”は特に競馬の世界では禁句だが、仮に今のようにネット発売、大通り場外(盛岡市中心部)ができていれば、まだまだ伸び白があったに違いない。


2008年10月13日、南部杯。久々に岩手競馬は元気を取り戻した。いろいろな方の援軍があり、いろいろな仕掛けが相乗効果をもたらし、近年ではJBCに次ぐ入場人員を記録した。

やり方次第でどうにでもなるのが競馬、そして地方競馬であることを再認識させてもらった。これからも元気になる可能性を十二分秘めているのだ。

そして11月3日、初めて園田で開催されるJBC。うらやましさと期待を込めて第8回開催を応援したい。


松尾康司さんのコラム等はこちら
週刊テシオ情報局(岩手競馬サポーターズネット)
テシオブログ
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2008.10.27 Mon l JBCリレーコラム TB(0) l top ▲

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